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私は、日本卓球協会のメダルを何個か持っています。その中に銀メダル(二号賞牌)が一つあります。(残念ながら金メダルは持っていません。) 皆さんお察しの通り、私がプレーして獲得したものではありません。
「長野で試合があるので、ついて行ってやって」と、言われ喜び勇んで出かけました。選手は、「監督」、「監督」と呼んで呉れます。
開会式直後、女子Bブロック第一試合(10:00)・愛知県のチームとの対戦。5-0で快勝(予選は5番まで)。
Bブロック第二試合は、先に対戦した、愛知のチームが負けて、Bブロック第三試合が、決勝トーナメント出場を賭けての試合になりました。
試合開始14:02。
「一番1-2」
「二番2-0」
「三番ダブルス2-0」
「四番0-2」となり、ついにラスト勝負になりました。
相手の選手は、東京の某卓球有力大学を卒業したばかりのピッカピッカの現役選手らしい、これに対して我が方のラストは結婚して子供が産まれてから始めたイボ高使いの典型的なママさん選手です。試合前の練習が始まりました。
相手のドライブが止まりません。 練習でドライブが止まらないようでは勝ち目はないなと思いました。しかも相手の監督は、その後日本卓球協会の強化本部長になられた方なのです。
ただ出発前に、「他はどうでも良いがラストはこの選手を使え」と云われていました。とは言っても私が、オーダーを決めるのではありません。「監督これで行きます」と書かれたオーダー用紙をもらって、オーダー交換所に行って先方のオーダーをもらってベンチに帰ります、すると真ん中の椅子を空けてくれています。(監督扱いをしてくれるこの辺が実に憎いおばさん達)
「一セット目」21-16で取る。練習で止まらなかったドライブが止まる。
「二セット目」一本ずつ取り合いの「19-21」眼のはなせない接戦になってきた。。
「三セット目」壮絶な試合になりました。
向こうのベンチは、「打つなーー」・「打つなーー」の連呼!! こっちは、「下がるなーー」・「下がるなーー」の連呼!! 相手が強打をしてくれるとこちらのポイント、大きなラリーになって下げさせられると相手のポイント、お互いの得点の形が決まってきました。その辺は当時の私にも理解出来ました。
一本とって、とられて、二本とって三本とられてとシーソーゲームを繰り返し、ついに我が方の選手がマッチポイントを取りました。
「20-17」です。ホット一安心、とはゆきませんでした。
「打つなーー」・下がるなーー」と応援の方も必死です。
先方の監督さんが真っ赤な顔をして「打つなーゆっくり大きなラリーにしてねばれーー」!と怒鳴っています。
こちらは、「下がるなーー」の一点張り!
ゆっくりしたラリーになり段々下げられて、「20-18」→「20-19」となりました。このままではやられる、ジュースになったらやられる!!だんだん不利になってきました。先方の監督さんの「打つなーー」が効いてきているようです。
「20-19」からのラリーが始まりました。だんだんラリーが大きくなり我が方のイボ高使いの選手がラリーが続く毎に台から離されて不利になって来ます。相手はコートに付いて、深く大きなラリーです。イボ高がコートから下げられて振り回されています。万事窮す!!
と、思ったとたん、フォアへ大きく振られました。ヤラレターーと思いました。が、やっと追いつきました、そこで勝負を掛けたのか、フォアハンドで思いっきりひっぱたきました(と、私にはそう見えました)
所詮イボ高のボールです。ゆらりゆらりと飛んでネットの先端に止まりました。
私の頭の中は.「ジュースだーー」...「ジュースになったら」....やられる!!
ボールは、ネットの先端に止まっています。ネット上でゆらゆら動いて、行ったり来たりしているように見えました。
眼に入ったままに、ボールの動きと私の動きが連動したのか、身体が前後にゆらゆら動いたのを覚えています。
ネットの先端で行ったり来たりしていた様に見えていたボールは、ストンとネットの根本に落ちました。
何分の一秒かの間だと思いますが一瞬、時間が止まった感じ!!
とたんに、体育館が「ウオーー」と揺れました。試合に夢中になっていて気がつかなかったのですが、体育館のほとんどの人がこの試合を見ていたのです。
「負けた、○○チームが予選で負けた」と口々に言っています。
そうなんです。ボールは相手コートのネットの根本に落ちて呉れたのです。
相手のチームは、東京予選一位で、今大会ダントツの優勝候補筆頭のチームだったのです。試合終了16:03、最高の2時間1分でした。
その後トーナメントを勝ちあがって、決勝で東京予選二位のチームとあたり1-3で負けました。試合後の挨拶で、先方の監督さんから「うちではあのチームには絶対勝てません。お宅のお陰で優勝出来ました。」と感謝?の言葉を頂きました。
せっかく長野に来たのだから、蕎麦を食べようと言うことになり、選手の一人が店を探すので先に行くとの事で、その選手の荷物を監督の私が担いでゆくことになりました。
よく考えると、監督が荷物を担ぐのではなく、荷物持ちを、監督と言って呉れていたようです。
今考えますと、私に勉強させるために、行かせて頂いたのだと思います。その時の選手の皆さんは、私の教育係だったのでしょう。
セブンイレブンの「昭和57年第一回全日本クラブチーム卓球選手権大会」の強烈な思い出です。
雄一老(yuu@Pingpongfan.net)
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