|
Home|About|His|Soft|Plaza|BBS1|BBS2|Text|Class|Link |
| ◆第46回世界卓球選手権大阪大会,一つの裏話 130 (テキストファイル) | 2001/06/15 |
皆さんも推測できるかと思いますが,このような世界大会級の運営は複雑多岐にわたりますので,大変な作業です.場合によっては,自転車操業のようになります.例えば,大会プログラム.観客の皆が開口一番に言うのは,「見にくいプログラムやなあ」です.そうなんです.時間がなくて詳細部まで気が回らなかったのでしょうね.滅多にない世界大会だけに本当に残念です.大会本部には,大阪市,日本卓球協会,大阪卓球協会,ボランティア,アルバイトや臨時社員,これだけの千差万別の人たちがいて,同じ「世界選手権」と言う釜の中でかき回すわけですから,複雑になるのは当然と言えます.アルバイトの女性が嘆いていましたが,「誰がどの仕事をしているのかがわからない,結局皆,自分がやらなくてはいけなくなってしまうんですよね」と言っていました.この言葉に代表されています.でも,皆さん,それなりにベストを尽くし,全般的には良い大会でした. 大会期間中の4月30日に行われる予定の「スウェスリングクラブと障害者とのフレンドシップラリー」も同じ状況でした.江口さん(世界卓球選手権女子シングルス優勝,ダブルス優勝の江口冨士枝さん)一人ですべてを決めなければならず,誰の協力もなくて困っておられた様子でした.最初,日本卓球協会から「江口さん,スウェスリングクラブのお世話の方をお願いね」と言われたとき,江口さんは,今までの他国でのスウェスリングクラブの場合と同じように,専用の部屋を確保して皆さんが自由にお茶を飲めるようにお茶出ししたり,雑用係りを決めたりするだけのことと思い,笑顔で「はい,はい」と受けられたそうです.でも,違ったのです.何でも,以前に千葉で開催された世界選手権のとき,日本卓球協会が,スウェスリングクラブのメンバー達に1日旅行ツアーなどを企画して盛大に歓迎したようで,クラブのメンバーは今回も,同じ日本での大阪の開催と言うことで,それなりに期待しているらしいとのことでした.それで,人材も資金もなく,どうしようかと思っていた矢先だったと言うのです.決まっているのは障害者との交流試合のイベントをやることと,どこかへの日帰りツアーをすると言うことだけです.具体案も何もまだ決まっていませんでした. それで,江口さんは障害者の卓球協会の人達と打ち合わせをしようと試みたのですが,協会ベースでは埒があかず,江口さんは嘆いておられました.結局,中心になって動いていただける障害者の下中さんと障害者センターの橋本先生の協力のもと,ようやく動き出したわけです.それがフレンドシップラリー開催の1週間ほど前でした.私が江口さんのお手伝いをしようと,お会いしたときはまさにそのような状況のときでした.ですので,イベントの具体的内容を聞き,「えっ,まだこんなことも決まっていないの?」と思った次第です. さて,本番の選手権の方はと言うと,すでに始まっていました.そのアナウンス原稿ですが,あるスタッフからその原稿を入手し,発音や喋り方が気になったので,私の職場の米国人の先生に,大会が始まる前、みてもらいました.すると,その先生,アナウンス原稿を見るなり,苦笑し始めました.どうやら,堅苦しい内容と普段の喋り言葉が混在しているようで,全体のバランスがおかしいと言うのです.たとえば,「皆様,午後の試合は1時から始まります.それまでしばらくお待ちください.」と言う日本語のアナウンスがあったとします.それに対する英語のほうは,「レディス&ジェントルマン,午後の試合は(いつ終わるかわからないけどとりあえず)1時です.それまで,ちょっとまっててね.」という内容になっていると言うのです.笑いますよね.ですが,このあたりの英語の微妙なニアンスは欧米に生まれたネイティブの人だけがわかるので,ちょっと,日本人にはわかりませんよね.仕方がありません. 開会式では,打ち合わせの合間をぬって,江口さんは,星野展弥,小山ちれさんなどと一緒に国旗や大会旗などを持って開会式に登場です(と言っても,実際には私は地下の本部で仕事をしていて見ていませんので,これで正しいかどうかはわかりませんが).入場行進の前では,星野さんと小山ちれさんはあっちに,こっちにうろつきまわり,星野さんなどは勝手に選手用のバナナを食べたりして,江口さんの「そろそろ,始まるからおとなしく待っているの」と言う忠告(?!)も,ほとんど聞かずに困ったと言っていました.私は思わず,その様子を想像して微笑んでしまいました. さて,スウェスリングクラブの方に話を戻しましょう.まず,スウェスリングクラブと言う名前の由来について話をします.「スウェスリング」と言うのは,実は,国際卓球連盟初代会長であるアイボア・モンタギュ氏の母親の名前で,同時に彼女が1926年の第1回世界大会の際に,男子団体の優勝杯を贈ったのを記念して,その杯をスウェスリング杯と呼ぶようになりました.以後,ずっと男子団体の優勝杯として今も使われています. スウェスリングクラブは元世界選手権に出場した選手達により,その親睦のために作られたのですが,その団体の名前として,このスウェスリングの名前を使っています.でも,クラブには,引退後の選手のすべてが加入しているわけでなく,現在加入しているのは数十名程度かと思います.それも数十年前に引退された選手が多く,年齢で言えば60代,70代の人が多いわけです.と言うわけで,かつては有名選手だったけど,お年寄りが多いわけです. 先ほども言いましたが,前回の千葉での世界卓球選手権のときには,千葉から京都までの1泊2日のツアー旅行が企画されたそうで,今回も期待されています.でも,今回はそんなに遠くに旅行するわけにもいかず,そう言っても何か企画する必要があり,急遽,京都への日帰りツアーを計画することになりました.京都観光と言っても一般の観光旅行では興味を引くかどうかわかりません.江口さんのアイディアで,元世界選手権に出場した澤田さん(旧姓・西村さん)が山科で卓球教室をやっていて,その教室に来ている陶芸家の木村先生にお願いして陶器の塗り工程をクラブのメンバーにやってもらうことになりました.簡単に言えば,あらかじめ基礎が焼きあがっている陶器の湯のみや皿に好きな絵や文字を書いてもらい,それを本焼きにして,皆に持って帰ってもらおうというものです.ツアー旅行に参加するクラブのメンバーはほとんど海外からの人なので,大変喜ばれそうです.その打ち合わせに,江口さんと澤田さん,私の3名で木村先生の家に行くことになりました.木村先生は著名な陶芸家で多くの陶芸作品を国内外の美術館や博物館に納めています.でも,その著名さとは全く逆で,とてもフランクな方で,しかも,よく喋ります.打ち合わせの間,ずっと一人で喋っていました.ですので,ほとんど,打ち合わせにはなりませんでした.木村先生の独演会でした.江口さんも後で,「あの先生,良く喋るなあ」と言っていました.江口さん顔負けです. さて,そのツアーの申し込みですが,元全日本選手権の出場者で関学OBの松原さんに手伝ってもらうことになりました.旅行会社と見積もりをかわし,クラブのメンバー(外国人のための)案内状を作成しました.それと,松原さんの案で,参加者を30名に予定し,私,1人だけでは通訳が心もとないということで,旅行会社に依頼してもう一人通訳を雇いました.専門家の通訳ガイドを雇うことができました.これで安心です.でも,どれくらいの参加者があるのでしょうか.30名も来れば良いのですが,ちょっと心配です.スウェスリングクラブの部屋に貼った紙1枚の案内状とシェラー会長の「皆に言っておいてあげる」と言う言葉だけが頼りです.ちなみに,このシェラー会長は世界選手権に出場した有名な双子姉妹の妹の方のローウェンさんです.元男子シングル優勝者のシェラーさんと結婚されて名前が変わりました. いよいよ,当日です.しかし,心配も吹き飛ばすほど思いのほか参加者があり,22名となりました.多くは海外からのメンバーでした.ですが,この京都ツアー,珍道中の連続でした.まずは,出発時間になっても2人が来ません.さんざん待った挙句に,直接電話で本人の部屋に問い合わせてみると,なんと本人が出てきて,「今日は疲れているからやめました」とのこと.南米の人だと言うことでしたが,「さすが,無責任」と妙に納得して残りで出発しました. 最初,陶芸家の木村先生のお宅に行きました.そこで,まずは抹茶を頂いたのですが,これが大変でした.靴のまま上がる人や逆に玄関口で靴を脱ぎ靴下のまま土間を歩き回って部屋に上がる人,6畳ほどの玄関口の部屋は大きい図体の人たちで溢れかえり,立ったまま抹茶を飲み,葛菓子を食べる人,笑いが絶えず,ガヤガヤして人の話などまったく聞いていません.まったく自分勝手な人たちです.通訳ガイドの人も困っていました. その後,陶器の製作現場を見学したのですが,先ほどと同じく自分勝手に歩き回り,木村先生の話などまったく聞いていません.それは本番の陶器の塗りも同じです.陶器の説明もあまり聞いている様子はありません.注意もそこそこに適当に塗り始めます.でも,皆さん,笑いながらガヤガヤと楽しく塗っていました.まぁ,楽しかったです.湯飲みや皿に,花や家,外国人特有のデザインもあったりして,木村先生も感心していました.とにかく皆で,エンジョイしていました.このあたりは外国人の何事をも楽しむという精神がよく出ていて面白かったです. ですが,予定していた2時間をあっさりと30分ですべての陶器を塗り終え(ぜんぜん考えずに塗っているのがよくわかりますね.日本人だとこうはなりません),時間があまってしまったので,急遽予定を変更して,午後に見学予定だった三十三軒堂を先に観光しました.三十三軒堂は,今回の世界卓球のシンボルマークである風人,雷人の像がある寺です.しかし,それを前もって知っていて三十三軒堂を選んだわけではなく,偶然そうなったのですが,皆,像を指差しながら大喜びでした.それにしてもまわりに卒業旅行の生徒が多かったこと.同じ制服の団体に皆,目を白黒させていました. その後で,ようやく,昼食をとりました.場所は二年坂にある由緒ある豆腐会席料亭です.駐車場からこの会席料亭まで歩いて二年坂を降りるのですが,皆さん,お年よりですので大変です.それこそ,亀よりも遅いスピードでゆっくりゆっくりと移動です.途中雨が振ってきたのですが,もちろん,速度を速めることはできません.それも,皆,勝手に動き回ります.江口さんも「30日に障害者との交流試合があるけど,どっちが障害者かわからんね」と言っていました.まったくその通りです. こちらでも卒業旅行の高校生が多くいました.彼らは外国人とわかると,一緒に写真を撮りたがりました.私は,高校生らに「この人たちは卓球の元世界チャンピオンばっかしだよ」と言ってやりました.「えー,まじー」と,なおさら,写真を撮りたがってきたのは言うまでもありません.でも,写真を撮った後で,「この人たちって,そんなに有名?」と聞かれたのにはまいりました. 料亭は日本庭園がとてもきれいな古風な所でした.京都の由緒ある料亭の趣きがあります.部屋に行くまでに,時代劇でよく見るような回廊や鯉の池もあって,日本情緒が一杯です.外国人の皆さん,大喜びでした.でも,困ったことに食事場所が日本間でした.これが大変でした.なんせ,彼らが座布団に座るまでが一苦労です.自分自身で自分の体重を支えきれない人たちばかりです.想像のとおり,ドラム缶の体の人が多く,一人では座れないのです.ようやく座っても,今度は一人で立てないのです.皆,無残な姿をさらけだしていました.仕方がないので,座布団を5,6枚敷いて椅子のようにしました.こうして,やっと皆が落ち着きました. 一息たつと,今度は,皆,箸が使えないのです.料亭にフォークやナイフがあるわけはありません.しかも,昼食は豆腐です.皆,悪戦苦闘の連続でした.でも,皆,自分の思いどおりにならない右手に笑いながら,楽しみながら豆腐を食べていました.結局のところ,手づかみです.食後に,料亭の方で用意した色紙に皆でサインをして,楽しい食事を終えました.この色紙は料亭の宝として残すと言っていました.澤田さん(西村さん)が「林さんもサインされたら?」と言われましたが.「とんでもない.....」 食後の後は,金閣寺に行きました.この金閣の美しさは言うまでもありません.もちろん,皆,驚嘆の声をあげていました.池に浮かぶ金雀色の優美な金閣.いつ見ても綺麗ですね.皆さん,歩きつかれていて,かなり疲労していたと思いますが,しばらくの間,見とれていました.結局,邸内は観覧せず,金閣だけを見て入口から帰ってきました.あとは帰路です.ホテルに直行です.お年を召されている皆さん,バク睡でした. それにしても,朝からバスの中で,江口さんと松原さん,そして,私の3名は,このツアーの時間変更をしたり,皆の意見を聞いたり,ホテルに携帯電話で確認したりして,それは大忙しいでした.ツアー業も大変だなぁと実感した次第です. 帰りのバスはロイヤルホテル行きです.江口さんと私の2人だけは大阪市中央体育館にもどり,仕事をしようと言うことになりました.会場へのシャトルバスの待合場所でのことです.中国の卓球選手団も一緒に待っていました.そのとき,偶然,木村興治さんにお会いしました.元世界選手権男子ダブルス優勝選手で,現在,日本卓球協会の専務理事です.なんでも,パーティに出席するとのことでした. そのとき,中国選手団の劉国梁選手が突然,バッグからラケットを取り出して,ラバーをはずし,チャックを塗り始めました.試合に備えてのことなんでしょうが,ここは,ホテルのロビーです.一般客もいます.チャックの臭いは一般客にとっては嫌な臭いの何物でもありません.一流選手だけに常識を疑います.江口さんも顔をしかめていました.そのとき, 木村さんが彼のところに行き,英語で,「ここではチャックを塗ったりしてはいけない.一般客もいるんだから.あなたはそのようなこともわからない? あなたのその態度が卓球全体のイメージを低下させるんだ!」と怒っておられました.彼はキョトンとしていました.たぶん,英語で話をしたので内容もわからなかったでしょうが,なんとなくわかったようで,バツが悪そうに,ラケットをバッグに入れていました.私はさすがだと思いました.やはり,言うときは言わなければ,それがどんな有名な選手であろうとも....木村さん,さすがです. さて,朝早くから夜遅くまで,いろいろあったツアーですが,成功の内に終わり,江口さんと私は,陶器の塗りの出来上がり日だけを確認して,それをスウェスリングクラブに持ってきてもらう手はずと梱包材の準備を終了し,いよいよ,メインイベントであるスウェスリングクラブと障害者とのフレンドシップラリーの企画準備にかかりました.でも,まだ何も決まっていません.やらなければならないことはたくさんあります.参加者のリスト作成,対戦表作成,当日の進行スケジュールと原稿の作成,日本語と英語のアナウンス原稿の作成,当日の説明などなど,一杯あります.本来なら,これらの仕事はすべてイベント会社がやるべきなのでしょうが,本番の世界卓球の試合が大忙しいで,こちらのほうには,人も時間も裂けない状況のようです.でも,私たちも文句ばかりを言っていても,何もことが始まりません.大変ですが,まったくの素人集団がとりあえず,これらを実行しようと言うことになりました. 江口さんと松原さん,障害者の関連で前述の橋本先生と下中さん,それに,スタッフの高田さん,そして,私です.また,英語への通訳として,村重さんにお願いしました.村重さんは,荻村さんがヨーロッパ遠征をしたときからずっとITTFの総会等で通訳をされているベテランの通訳者です. さて,企画のほうですが,まずは対戦表作りです.障害者の下中さんと橋本先生から障害者側の選手戦歴を出してもらい,それにあわせてスウェスリングクラブのメンバーを充ててもらいました.その助言を元世界選手権出場者で男子団体3位の高島規郎さんにお願いしました.高島さんはとてもダンディな方でした.参加する元選手の中でも特に有名だった選手をセンターコートにあてはめました.木村興治さん,松崎キミ代さん,星野展弥さん,河野満さん,シェラーさんご夫妻,コチアンさんなど,もちろん,江口さんもセンターコートです.江口さんはしきりと「センターコートなんて嫌だわ」と言っていましたが,皆はもちろん笑いながら一言,「だめです」と,それを無視しました.やはり,往年の名選手のプレーをセンターコートで見たいですものね.全員一致での無視でした.それと,松原さんが「時間が長引くのを防ぐため, カットマン同士の対戦は避けたら?」と言いましたが,江口さんがすかさず「高島さん! あなたはカットマンだけど,どう思いますか?」と聞いたのです.高島さんは笑いながら,「かつての選手権出場選手で,昔はカットマンだったとしても,いまは皆体力がないので,もうカットマンではないでしょう.私も今はカットマンとは言えません」と言っていました.皆,そんなもんかなぁと納得し,「では,カットマンに関係なく,対戦表を組みましょう」と言うことになったのです.でも,実は試合当日,その高島さんもいざとなったら,やはりカットマンになっていました.昔のスタイルはそう簡単には抜けないようです.もちろん,高島さんのカットマン姿はすばらしかったです. 対戦表はできました.次は,進行原稿とスケジュール表の作成です.これは皆で議論して決めました.大まかなスケジュールはこうです.選手入場後,シェラー会長の挨拶,世界選手権女子シングルス6連覇優勝のあの有名なロゼアンヌさんによる花束贈呈,メインイベントである障害者とクラブメンバーとの試合,2つのエキジビション,そして閉会式です. エキジビションの一つ目は,クラブメンバーが車椅子に乗ってシドニーパラリンピック選手の岡選手(車椅子)と対戦するもので,クラブメンバーのOriowski選手がどれくらい車椅子を操作して卓球ができるかがキーポイントになります.2つ目のエキジビションは,障害者とクラブメンバーとがダブルスのペアを組むもので,松崎キミ代さんと長谷川信彦さんがそれぞれ別チームとなって参加しました. これら多くの内容を含んでいるので,結構,スケジュールは複雑でした.下中さんや橋本先生をはじめ,皆でどうしたら良いかを考えました.これらの進行原稿を英語と日本語で作る必要があります.また,アナウンス原稿も英語と日本語の両方を作らないといけません.対戦表を作っている最中でも,選手の入れ替えやキャンセルなどが続出し,大変でした.特に,クラブメンバーの中には最初,参加したくないと言っていた人が,いざ,試合当日が近づいてくると,やはり選手の血が騒ぐようで「参加したい」と言う人がいて,調整が大変だったです.また,対戦表以外では,会場の入場方法や審判,英語への翻訳,花束の準備など,こまごまとしたことがまだあります.こちらの方は高田さんが大活躍でした.私の方は,1日のほとんどをイベント会社や大阪市職員との打ち合わせに使い,結局,あまり,本番の世界選手権の試合はほとんど見られませんでした. さあ,イベント当日になりました.朝起きて朝刊を見ると,「世界卓球に選手として参加しているタヒチの選手が実は障害者で,今日のスウェスリングクラブとの交流試合にも参加したがっている」と書かれていました.さぁ,大変です.本部に行くなりその選手を懸命に探しました.ですが,その選手はすでにホテルを出ていて会場にいると思われますが,どこにいるかわかりません.多くの時間を費やしたのですが,結局,その選手を探し出すのはあきらめました. その探している最中でも,何人かのクラブメンバーが突然キャンセルしたり,逆に参加を急に申し込んだりして最終の対戦表がなかなか決まりませんでした.それでも,イベント会社からは「最終の対戦表のアナウンス原稿をください」と要求されて,本当に大変でした.その忙しさにまぎれて,台湾の選手の国名を紹介する原稿に,私のミスで,「台湾」と書いていて,本番の前の最終確認で,「チャイニーズタイペイ」に変更し,間際のところで,国際問題にもなりかねない問題を回避しました.あまりにも忙しくて,ふと,そう書いてしまったのですが,危ないところでした. さて,午後になり,いよいよ,交流試合が始まります.クラブメンバーが選手入場のために,入場門に集まってきました.写真や雑誌でしか見たり読んだりしたことのないそうそうたるメンバーです.そのメンバー全員に,私のほうから光栄にもスケジュールの案内と,入場方法について説明しました.皆さん,おとなしく聞かれていました. いよいよ,選手入場です.緊張の一瞬です.先頭を歩く若い誘導係の女性がとても緊張していました.「だって,有名な選手ばかりですもの」の一言.そうですよね,私だって同じ気持ちです.彼女のすぐ後にいた木村興治さんとロゼアンヌさんはそれを聞いて微笑んでいました.アナウンスと行進曲が流れてきました.入場前の打ち合わせどおり,皆さん,手一杯振っての入場です.なごやかなとてもよい雰囲気の行進でした.私と松原さんも列の最後から入場しました.正面前で選手が整列して,シェラー会長の挨拶がありました.ロゼアンヌさんの花束交換も優雅につつがなく終わりました.ロゼアンヌさんは当時の写真と少しも変わらない気品ある立ち振る舞いでした.江口さんが「彼女は女子シングルス6連覇もしたのに,いまではあまり注目されていない,だからこそ,是非,花束交換を彼女にしてもらいたかったの」と言う優しい心づくしに応えるように,会場に花がぱっと咲いたように美しかったです. さあ,セレモニーが終わり,いよいよ,交流試合です.21点の1ゲームです.手に汗を握るような熱戦が多く見られました.特に,センターコートでの木村興治さんと車椅子の岡選手の試合は大熱戦でした.23対21で岡選手が勝ちました.岡選手は現役のパラリンピックの実力を見せて,また,木村興治さんは往年の実力を発揮して,すばらしい対戦でした.岡選手は,確かシドニーオリンピックでは2回戦での敗退だったと思います(間違っていたらすみません).それから考えると,パラリンピックのトップレベルの選手がどれほどすごいかがわかります.2人は試合終了後,新聞記者に取り囲まれてインタビューを受けていました.この内容は新聞に掲載されました. さて,周りを見渡しますと,星野展弥さん,浜田美穂さん,河野満さん,織部幸治さん,田坂登紀夫さん,長谷川信彦さん,伊藤和子さん,大沼恵美子さん,高島規郎さん,松崎キミ代さん,シェラーさんご夫妻,江口さんなどが戦っていました.往年の選手たちが一度に集まってラケットを振っている.当時の選手たちを知る人にとっては何とも言えない感じではないでしょうか.障害者の人たちがうらやましい限りです.たぶん,観客の人たちも私と同じ気持ちだと思いますが,誰でも往年の選手たちと一度は対戦してみたいものです.江口さんはと言うと,とてもかわいいお姿で対戦されていました.特に,ラケットにボールが当たるときに,頭を少し右に傾けて打つスタイルは写真集で見るのと一緒で,現役当時そのままでした.江口さん曰く,「当時は卓球台がデコボコだったので,最後までボールを見ていないとならなかったでしょう,だから,こういう癖がついたの」とのこと.「なるほどそう言うことか」と一人納得した次第です. なごやかのうちにも,試合が全て終了し,エキジビションを迎えました.11点制の1ゲームです.木村興治さんの発案による「正式な対戦では規約改定後,世界最初の11点試合です」と言うアナウンスのもと,エキジビションが始まろうとしていました.最初は岡選手とOriowskiさんが車椅子に乗っての車椅子対決です.ですが,このOriowskiさん,エキジビションが始まると言うのに,どこにいるのかわからず,私やイベント会社の進行係が会場中を探しまくりました.のんきなものです.ようやく彼を見つけ出し,エキジビション試合が始まりました.結構,彼は車椅子での卓球が上手かったです.思った以上にラリーが続き,会場は拍手の連続でした.岡選手もこれほどやるとは思っていなかったようで,翌日の新聞にもそう答えていました.ですが,もちろん,岡選手が勝ちました. 続いて,障害者とメンバーとのペアによるダブルス戦です.松崎キミ代さんと長谷川信彦さんがそれぞれのチームに分かれて,障害者とペアを組みました.イベント会社の進行係のスタッフはさきほどのOriowskiさんに懲りて,彼ら2人をあらかじめ卓球台そばで待機させるように私に依頼してきました.すでに,松崎さんと長谷川さんは卓球台のそばで待っておられます.今度は問題はありません.ですが,途中,松崎さんがふっと席を離れてアリーナを出ていきました.私は「たぶんトイレだな」と気にも止めませんでしたが,進行係が松崎さんがいないのを見つけ,松崎さんがどこに行ったかと聞きます.「たぶん,トイレでしょう」と言うと,彼らはトランシーバの無線で,「エー,本部どうぞ,本部どうぞ,いま,松崎さんはトイレです.了解ですか,どうぞ」,「はい,了解しました.松崎さんはトイレですね,了解です.」などと,交信をしていました.思わず笑ってしまいました.笑ってはいけませんが,進行係は真剣になって,松崎さんのトイレの確認をしていました.いよいよ,Oriowskiさんと岡選手との最初のエキジビションが終了するころです.でも,まだ,松崎さんはまだ戻ってきません.そうすると,さきほどの進行係は「松崎さんはまだトイレです.どうしますか,どうぞ」とやっていました.ご苦労様です.そうしているうち,松崎さんも戻ってきて,何の問題もなく,2つ目のエキジビションが始まりました.長谷川さん,松崎さん,ともに障害者との息がぴったりです.好試合でした.少差で松崎ペアが勝ちました.そして,今回のイベントの最後に,岡選手の挨拶がありました.この挨拶もとてもよかったです. 全イベントが終了しました.最後は拍手の嵐です.これに関わった皆がきっと,こころよい充実感と良い感激に満たされたと思います.とても良いイベントでした.皆喜んでいましたし,会う人皆が,「とてもよいイベントでした」と言ってくれました.江口さんも同じ気持ちを持たれたようで,「荻村さんが提唱したスポーツパラダイス大阪の理念とぴったりと合う良いイベントでしたね.このようなイベントが今後も続けば良いですよね」と言われていました. さて,交流試合の夜,スウェスリングクラブのパーティがありました.それに出たいと思っていたところ,「ぜひ,出席してください」と,江口さんにも依頼されました.もちろん,喜んで出席しました.ロイヤルホテルが会場です.最初,シェラー会長の挨拶があり,功労賞の授与がありました.大阪市長や大阪卓球協会会長の江崎グリコの江崎さんへの功労賞授与に続いて(もちろん,本人達は多忙のため出席していませんでしたので,私と通訳の村重さんが代理で授与しました?!),江口さんに功労賞が授与されました.卓球のラケット型の盾です.すばらしく美しくかわいい盾でした.江口さんにまたひとつ賞が増えました.それと,長谷川信彦さんが卓球殿堂入りをされたとのアナウンスがありました. 功労賞授与の後,立食形式の会食となりました.皆さん,和気あいあいと食事をされていました.今日の昼の交流試合のこと,過去の数々の試合の話,友好の話など,会話が途切れることがありません.食事も一段落したころ,歌を歌おうと言うことになりました.まずは,日本側の女性たちのクラブメンバーが正面の壇上に集まって,歌を歌いました(すみません,題名を忘れました).それも,江口さんの華麗な指揮のもとです.とても美しい合唱でした.その後,木村さんの発案で,荻村さんを偲び,荻村さんが好きだった「四季の歌」を男性も加わって日本選手全員で歌おうということになりました.日本人のメンバーは皆,壇上に上がり,全員で合唱しました.合唱の中には,荻村さんの奥さんも加わっておられて,皆が荻村さんをいつまでも心のよりどころにされているのだなぁと言う気持ちに胸を打たれるものがありました.広いスポーツ界でこれほど,皆がある特定の人を心の支えにしているスポーツ団体はないのではないかと思ったりもしました.とても良かったですし,貴重な合唱でした.このあとの松崎さんの「隅田川」の独唱もよかったです.これらは,しっかり私のビデオに撮りました.そのとき,会場でビデオを回していたのは私だけでしたので,これは歴史に残る貴重なビデオになるのではないだろうかと思ったりしています.皆さん,賑やかで楽しみの内,無事閉会しました. さて,障害者とのフレンドシップラリーの後,疲れでしょうか,私は寝込んでしまいました.2日間ほど,家で療養して過ごしました.3日後に大阪市中央体育館に行くと,江口さんがにこにこして,近づいてこられて,「それが目から鱗よ,思いもよらない展開があったのよ」と言われました.なんでも,障害者との交流試合がとてもよかったらしく,木村興二さんが江口さんに「今後もこのような大会が開催可能かどうか,案を考えてください」と言うことでした.江口さんは,すぐ,「それは荻村さんのスポーツパラダイスの理念だわ」と思われたようです.それにそって私がある提言書を企画しました.卓球の勝負のレベルの差を考えるのではなく,むしろ,それを包み込むような試合形式を考えました.キーワードは「バリアフリー」です.卓球のレベルの差のバリアフリー,年齢の差のバリアフリー,障害の違いのバリアフリー,それらを取り除いた卓球の開催形式です.具体的には,レベルが上位の選手と下位の選手,障害者選手を必ずチーム内に入れたその日だけ構成したチーム戦の試合形式です.チームメンバーは開催者が米国のレイティングシステムのようなポイントを参考に構成します.ただし,試合は,レベルの高い人は相手チームのレベルの高い人とだけ戦い,低い人は低い人と戦う,障害者は障害者と戦います.しかし,チームは一丸となって,その試合日のチームの優勝を競うわけです.レベル,年齢,障害の差を考えず,皆一緒にプレーができて,しかも,レベルの高い人も低い人もそれなりに楽しめる.そのような形式です.1年間に数回ほど開催し,レイティングによって,年間の最終試合で個人総合優勝選手(レイティングの最上位の選手)とその1年で最もレイティングが上がった個人総合エフォート選手を表彰します.なかなか良いアイディアだと思います.江口さんにこの提案書を提出しました. さて,提案書も書き,事務作業は何もすることがなくなったので,これでようやくゆっくりと世界卓球の試合観戦ができます.本部で江口さんと雑談をしていて,そのように思っていた矢先,タイミング良く,スタッフの一人が「観客が少なく,テレビの映りが悪いので,手があいている人は観客席に来てください」と頼みに来ました.グッドタイミングです.江口さんと「じゃあ,観戦でもしましょうか」と,会場に行きました.ですが,それが何と,特別席の第1列目の最も良い席でした.フロアーに一番近い席ですので,直接選手の前に座っていて,観戦しているような席でした.江口さんとともに2日間,観戦しました. 1日目は女子シングルス戦と男子ダブルス戦の決勝,2日目は女子ダブルス戦と男子シングルス戦の決勝でした.とても興奮して観戦できました.それも,横に江口さんがおられるので,技術的なことも良く尋ねさせてもらいました.この2日間の様子は,一番前の席と言うことで,NHKのテレビに良く映っています.このテレビを見た知人から「良い席に座っていたよね」と言われましたが,実はあれは「サクラ」だったのです.ですが,思った以上にサクラも結構大変でした.いつテレビに映るかわかりませんので,拍手を頻繁にしないといけませんし,愛想良くしていないといけません.変な顔がテレビに映るのはいやですからね.でも,現実はそう上手くいきませんね,後で,テレビを見ると,映っているのはどれも気をゆるして,だらけていた様子ばかりでした. そうそう,最後に,とっておきの話をしたいと思います.今大会の最後の試合は,王励勤選手と孔令輝選手との男子シングルス決勝戦だったことはご存知だと思います.この試合も一番前の席で見ていました.熱戦の末,王励勤選手が逆転優勝で勝ちました.彼にとっては最初の大きな試合での優勝だったので,タオルで顔を隠しながら泣いていました.その姿などもすぐ前で見ていました. 男子決勝の表彰式も終わり,後は大会閉会式だけです.スタッフに頼まれたこともあり,この閉会式もまだ席に座ったまま見ていました.そして,閉会式も終わり,スタッフの皆が卓球台やフェンスなどの後片付けをし始めました.私たちもお役ごめんになったので,本部に戻ろうと席を立った時でした.江口さんが「あれっ,あれはボールじゃない? そうよ,決勝戦のピン球よ」と言いました.なるほど,江口さんが指差した方向には,さきほどの男子決勝戦で使われた白いピン球が卓球台のそばに転がっていました.良くご存知のように,卓球はその試合では,テニスなどと違い,ずっと同じボールでプレーを続けます.ピン球が割れる場合以外は,決してピン球を取り替えたりしません.と言うことは,あの転がっているピン球は王励勤選手と孔令輝選手との激闘のボールなのです.もちろん,誰よりも早く,ボールを拾ってきました. そうなのです.大阪世界卓球権の最後を飾る男子シングルス決勝の優勝ボール,王励勤選手の涙の優勝ボールは実は,『我が家』にあるのです.ただ,サインをもらって来るのを忘れていましたので,見かけは普通の白い『Nittaku』のボールと何ら変わりません.ですが,私にとっては違うのです.将来,どこかで,王励勤選手に会うことがあったら,是非,この説明をして,「サインをもらってこよう」と思っています.ですが,このボールは彼にとっても一生で一番思い出に残る試合のボールであるはずです.彼がこのボールを欲しいと言えば,もちろん,「喜んで,ボールをあげても良い」とも思っています.いつかきっと,彼にまた会える日を楽しみにしています. 長々と裏話を書きました.内容的にご不満な方もおられるかと思いますが,大会を記念しての裏話ですので,それに免じて許していただければ幸いです.長時間読んでいただきましてどうもありがとうございました. |
|
|
Home|About|His|Soft|Plaza|BBS1|BBS2|Text|Class|Link |
|
| Copyright 2000,-2003 PingPongFan.Net All rights reserved |